第128回(2025/08/21)
皆様、暑い日が続いていますが、お盆はゆっくりされましたでしょうか?僕は以前にこのコラムでもお盆のお話を書いたのですが、診療をしておりました。墓参りもせずに先祖に怒られそうなのですが、世のため、人のため診療をしているということで大目に見てくれているのではと勝手に思っています。

お盆は、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事であり、仏教の「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」に由来します。盂蘭盆会(うらぼんえ)は、インドのサンスクリット語の「ウラバンナ(逆さ吊り)」を漢字で音写したもので、「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味があります。一見怖い意味なのですが、この詳細はお釈迦様の弟子の一人である目連尊者(もくれんそんじゃ)が母親を救う話に由来しています。
目連尊者は、亡き母を案じ、神通力によって母の姿を探し求めます。すると、母は地獄の世界に落ち、苦しんでいました。この理由は母が目連尊者を思うあまり、水を求めてきた旅人にこの水は目連尊者のものなのでと言って旅人に水をあげなかったことによります。このことを知った目連尊者は悲しみの中、何とか母を助けたいという思いで、食物を母のもとへ運びます。しかし、母のもとではすべてが火や炭に変わってしまうのです。どうすることもできない目連尊者は、お釈迦様のもとに行き尋ねました。
お釈迦様は過去を取り返すことはできないが、母親のできなかったことをすることはできると話され「七月十五日は雨期もあがり僧侶も夏の修行に一段落つく日である。人々も町に出てくる。この人たちに母親の出来なかったことをするがよい」と示され目連尊者はそに日に百味、百果の食べ物を用意してみんなをもてなしたところ、亡き母は地獄より救われたというお話があり、これがお盆の行事の色々なものをお供えする由来にもなっているそうです。
僕も最近、歳をとったのか、自分が死んだらどうなるの?とか先のことが心配になることが時々あるのですが、日本語では亡くなることを逝くと言いますが、これは過ぎ去って戻らないという意味や目的地に向かって進むという意味があるそうです。またラテン語ではabiit ad pluresと言うのですが、これは直訳するとより多くの人の所へ行くという意味なのです。
多くの先に目的地に行ったおじいちゃんや、おばあちゃん、僕の場合だと亡くなった父(母は元気で和歌山にいます)が待ってくれている目的地に向かうと考えると不安やおそれが軽減されますよね。まだ目的地にすぐに行こうとは思っていませんが、もう少しこの地で頑張ってみんなを元気に笑顔にしたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。