第124回(2025/02/04)
豆まきは例年2月の3日に行われますが、今年は一日早くて2月2日の日曜日です。
豆まきは節分に行われますが、この節分は季節を分ける節目である立春、立夏、立秋、立冬の前日の日を指します。中でも立春は旧暦の一年の始まりにあたる日であり、厳しい冬を乗り越えて春を迎えることから節分の中でも特にめでたい日とされています。当時の節分は今でいう大晦日のようなもので、一年の邪気を祓い、清めた状態で福を迎えて新しい一年を始める儀式でありました。
この立春の日は太陽と地球の位置関係によって決まるため、暦と位置関係がずれてきます。そのため4年に一度ずれを補正する必要があり、今年は1日早く節分を迎える年なのです。
豆まきの言われは、大豆などの穀物には邪気を払う効果があるとされているのですが、魔を滅するが魔滅(まめ)の語呂合わせ、また外にまいた豆から目が出ると困るので、炒った豆を使うのですが、これも豆を炒るが魔目(鬼の目)を射るの語呂合わせが由来という説もあります。ちなみに、鬼が入ってくるのは夜とされているので、豆まきは夜になってから行うのが良いそうです。
ところで豆まきの必要の無い姓の人がいるって知っていましたか?それは渡邊さんと坂田さんです。なぜこの二つの姓の人達は豆まきをしなくても良いのでしょうか?それは平安時代の物語に遡ります。
平安時代に丹波国の大江山に住む鬼たちが京の街に降りてきて悪さをしていました。鬼たちの首領である酒呑童子は日本三大悪妖怪にも挙げられる程の鬼で、京の街は慄いていたそうです。そこで一条天皇は源頼光と藤原保昌に鬼の討伐を命じました。この源頼光の部下に頼光四天王と言われた渡邊綱と坂田金時がいました。
そして渡邊綱と坂田金時は酒呑童子に酒を飲ませて酔わせ、首を刎ねました。その敵討ちにきた茨木童子という鬼も腕を切り落として返り討ちにしてしまいました。そこから渡邊綱、坂田金時の強さを見た鬼は渡邊、坂田ときくだけで恐れをなして逃げ出すようになったため、渡邊さんと坂田さんは豆まきの必要がないようです。
この時の酒呑童子の首を刎ねたと言われる日本刀が東京国立博物館が所蔵する太刀「童子切」で、国宝に指定され天下五剣にも選定されています。また坂田金時はあの金太郎が大きくなった姿だと言われています。