第53回(2019/02/06)
「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」と女の子の手まり歌でも有名な熊本に1月の連休に行ってきました。 羽田空港からASO KUMAMOTO(阿蘇熊本)空港まで約2時間です。(職業病なのかASO とみるとarteriosclerosis obliterans(閉塞性動脈硬化症)をまず先に思い浮かべてしまったのですが)
阿蘇熊本空港にはお昼に到着したので、まずは熊本県のご当地グルメである太平燕(タイピーエン)を頂きました。これは春雨にエビ、イカ、豚肉、白菜、タケノコ、キクラゲなどの五目炒めを合わせ、あげ卵を添えた物で長崎ちゃんぽんとはまた違ってとても美味しいものでした。
熊本では頭痛やストレスに対する漢方治療のお話をしてきました。
講演は無事に終わって夜は馬肉料理のコースを頂きました。前菜から馬肉の和え物やユッケ、さしみ、馬肉の揚げ物、馬の頬肉のシチュー、しゃぶしゃぶ、馬肉のお寿司とデザート以外は馬づくしで、それを球磨焼酎と一緒にいただきました。とても美味しくて馬力がつきました。馬肉は江戸時代には傷を治す湿布薬のように使われたりもしたものです。
翌朝に熊本城の周りを散歩しました。
熊本地震から3年たった今でもまだ一部石垣は崩れたままで、現在も復旧工事が行われていました。崩れた石垣をパズルのように再度くみ上げていく、この技術と熱意に感動しました。
クレーンや重機が発達した今でも復旧すら大変なのですから、江戸時代にこの城を築いた加藤清正時代の技術力や労力には想像を絶するものがありますね。
漢方も少しこれと似たところがあります。
明治維新後、政府は西洋医学を正式な医学として採用し、東洋医学を認めなかったため、一気に東洋医学は廃れてしまいます。その後、地道な先人の努力によって現在は少し復活しつつあるのですが、私達の東洋医学のレベルはまだまだ江戸時代の名医の域には達しておらず、勉強や修練が必要な状況です。
NHKの大河ドラマの西郷どんでも話題になりましたが、西南戦争において、西郷軍は1万4000人で官軍4000人が籠城する熊本城を攻めますが、誰一人として城内に侵入できずに熊本城は持ちこたえます。熊本城の城壁は下は勾配がゆるやかなのですが、上に行くほど急勾配になり、登れない武者返し(清正流石組)という構造になっているのです。「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と西郷が嘆いたというエピソードもあるくらいです。
お城を見て回った後、ホテルにもどるのに、熊本市内の商店街を通って帰ったのですが、この日は成人式で朝早くから美容室がopenしており、振り袖を着た娘さんとお母さん達でいっぱいでした。
海外ではこの成人式がない国もあるそうです。こういう伝統を受け継いで大切にしているこの国はやっぱり素敵ですね。
熊本のお土産には細川家が江戸時代に幕府に献上していた秘伝の菓子を復元した加勢以多(かせいた)を買って帰りました。この不思議な名前はポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)=マルメロジャムの箱」が由来といわれています。現在はもち粉で作ったおぼろ種でカリンのジャムをはさんだ御菓子となっています。
細川家初代幽斎公(細川藤孝)は歌人でも有名で、八条宮智仁(としひと)親王にも、当時の日本の学問の最高峰である「古今和歌集」の解釈の奥義を伝授されたと言われており、その際の建物が桂宮家から細川家に下賜され京都御苑から水前寺成趣園に移築されています。
チーターの愛称で有名な水前寺清子さんは熊本出身でこの水前寺からお名前をとっているそうですよ。
熊本には他にも阿蘇山や西南戦争で政府軍と薩摩軍との最大の激戦地となった田原坂や最近ではNHKの大河ドラマ「いだてん」のモデルになった金栗四三ミュージアムなどもopenしてみどころ満載です。ぜひ、皆様もいちど熊本を訪れてみてください。
最後に連休にもかかわらず、講演にご参加いただいた先生方、また講演の準備をしてくれた現地のスタッフに感謝申し上げます。