第122回(2024/12/07)
11月に日本東洋医学会の島根県部会に講師として招かれ、頭痛の漢方治療についてお話しさせて頂きました。
11月(旧暦の10月)は、全国の八百万の神々が出雲の国に集まる月で他の土地では神様が留守になるので神無月といいますが、出雲では神在月です。そしてちょうど、その日は出雲大社の西方1kmにある稲佐の浜で、神々をお迎えする神迎神事が行われる日で、稲佐の浜、出雲大社にお参りに行くことができました。当然なのですが、飛行機もバスも、多くの人でいっぱいでした。こんなすごい日に出雲に呼んでいただいて、講演ができたことにとても感謝しております。
また地元のカニを食べたり、お蕎麦を頂いたり、とても充実した日々を過ごせました。島根県部会の会長である出雲漢方クリニックの宮本信宏先生、また県部会のご準備をしてくれたスタッフの皆様に感謝申し上げます。
ところで出雲大社と鹿島神宮の社殿は、その建て方がとても似ているって知ってましたか?神座は奥の角に横向き、そして大国柱をぐるりと回って奥の間に入る形をとっています。また、屋根は切り妻造りの妻入りです。出雲大社と鹿島神宮の神社内陣の配置構造やデザインには共通点が多いのはなぜだと思いますか?
その答えは国譲りの神話に隠されています。国譲りは、大国主神が治めてきた豊葦原水穂国が天照大御神の御子に譲られる経緯を語り伝えるものです。国を譲る代償として建ててもらったのが出雲大社なのです。これまで、これは神話の話で架空のものとされてきましたが、なんと2000年に出雲大社の本殿遺構の柱材として、一本が百十センチもある柱が三本も束ねられた三m以上の巨大な柱が見つかりました。つまりこの国譲り神話は本当だったのです。
そして国を譲ることを命じた天照大御神は高天原からきたのですが、この高天原は実は鹿島にあったのです。今でも茨城県鹿嶋市に高天原という地名が残っています。つまり鹿島神宮からの使者が出雲に出向き、大国主を説得し、出雲の国を譲ってもらった代わりに鹿島神宮と同じ建て方で出雲大社を建てたということです。
また他にも面白い話があります。鹿島というくらいなので、昔はここに鹿がたくさんいました。その人たちと鹿はどこに行ったのかというとまずは九州や奈良に行きました。その証拠に九州に鹿児島がありますね。鹿児島つまり鹿島の児(子供)という地名です。また奈良の春日大社といえば奈良公園にあり、鹿が有名ですよね。そのことも鹿島立ちという言葉で残っていて、常陸国の防人が、鹿島神宮に集合して、鹿島から九州方面に出発したことをいうのですが、この様子が現在でも「祭頭祭」という祭りで、その「鹿島立ち」の様子を伝えています。
このような歴史的背景が深い出雲大社を実際に訪れる事ができて、パワーとモチベーションをもらいました。千葉にも香取神宮や鹿がつく地名(四街道の鹿放ヶ丘や鹿渡など)がたくさんあるので、今度また調べてみようと思います。